クラインガルテン

クラインガルテン

私が「クラインガルテン」という名前を知ったのは、2002年に亡くなった父の本棚にあった祖田修著『市民農園のすすめ』(見る緑から作る緑へ)岩波書店を開いてみたときでした。

第一版発行は1992年。父がいつ購入したのかはわかりませんが、晩年父は近くに借りた農園で様々な野菜を栽培することに情熱をもやしていました。そこは社交場でもありました。

祖田修著『市民農園のすすめ』ピックアップ

  • 21世紀における日常の緑は、単に「見る緑」ではなく、「ふれる緑、つくる緑」いわば「ふれあいの緑」が主流をなしてくると考えられ、それはある種の時代的・文明論的意味を持っていると思う。
  • レプケは「庭園の力」(Gartenkraft)を重視する。
    庭園ないし菜園の所有は、都市生活の弊害を緩和し、自然と結ばれた農村的な生活リズムを取り戻して、家庭生活に安らぎを与える。
    そして、花や果実、野菜づくりの趣味として、多様な意義を有すると主張する。
    近代ではこれに自然保護、都市の緑地空間としての機能、健康保持、大気浄化、災害対策などの役割もあると評価されている。
    レプケはこの菜園保有のために、国民に対する土地・家屋資産の再分配の必要性を説く。すなわち、ひたすら巨大企業の論理が支配し、過度の集中と組織化・専門化・分業化が進み、人々を財産のない群衆と化し、政治権力を集中するところの大都市を解体して、人間の身の丈にあった、農村的リズムをもつ地方都市振興を訴えるのである。
    経済学を単に合理的な世界、計算可能な世界に閉じこめるのではなく、「庭園の力」、地方分権、人間性を積極的に経済学の主題としてとりこんだレプケに、私は新鮮な驚きを覚える。
    E・F・シューマッハーのスモール・イズ・ビューティフルの思想は、このレプケの思想に由来している。
  • 大都市住民の多くは、地方都市への脱出を志向しており、自然を求め、庭園や菜園のある、安らぎの家庭を求めている。そして安全な食品を望んで、生産者との顔の見える関係を作り、子供たちを自然のなかに戻したいと考えている。しかし、それは決して都市の否定ではなく、中小都市における農・自然との結合関係への欲求であるといってよい。

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