植物は恋人

植物は恋人

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牧野富太郎博士
文久2年(1862)~昭和32年(1957)
高知県高岡郡佐川町出身。「日本の植物学の父」といわれ、多数の新種を発見し命名も行った近代植物分類学の権威。小学校中退でありながら理学博士の学位も得て、生まれた日は「植物学の日」に制定。
植物採集するときもネクタイ姿で、いつもダンディであった博士。恋人に会いに行くからだと言った。

以下、2001年11月14日にUPした記事を復刻します。
復刻にあたり、当時の記事にはなかった博士の植物画を加えました。
(2012/01/08)

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4日前、東京新宿紀伊国屋書店を散歩する機会があって
いろんな本を立ち読みしていたら
あの膨大な書籍群のなかから一冊の本が私を呼びとめました。

牧野富太郎著「植物知識」講談社学術文庫。

ちょっと数ページ立ち読みしただけで
高知五台山の近くにある高知県立牧野植物園の光景と
博士が描かれた丹念な植物画がありありと目に浮かびました。

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植物に取り囲まれているわれらは

このうえもない幸福である

こんな罪のない

かつ美点に満ちた植物は

他の何物にも比することのできない

天然の賜物(たまもの)である

実にこれは人生の至宝であるといっても

けっして過言ではない

翠色したたる草木の葉のみを望んでも

誰もその美と爽快とに

うたれないものはあるまい

これが一年中われらの周囲の景色である

またそのうえに植物には紅白紫黄

色とりどりの花が咲き

われらの眼を楽しませることひととおりではない

だれもこの天から授かった花を

愛せぬものはものはあるまい

そしてそれが人間の心境に影響すれば

悪人も善人になるであろう

すさんだ人も雅(みやび)な人となるであろう

罪人もその過去を悔悟するであろう

そんなことなど思いめぐらしてみると

この微妙な植物はひとつの宗教であると

言えないことはあるまい

自然の宗教!

その本尊は植物

なんら儒教、仏教と異なるところはない

今日私は飽くまでもこの自然宗教にひたりながら

日々愉快に過ごしていて

なんら不平の気持ちはなく

心はいつも平々坦々である

そしてそれがわが健康にも響いて

今年八十八歳のこの白髪のオヤジすこぶる元気で

夜も二時ごろまで勉強を続けて飽くことを知らない

時には夜明けまで仕事をしている

畢竟(ひっきょう)これは

平素天然を楽しんでいるおかげであろう

実に天然こそ神である

牧野富太郎

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こんな数十年にわたる努力が遂に私の植物知識の集積になったわけだ。今年九十三年に達した私はこれから先、体のきく間、手足の丈夫な間、また頭のボケヌ間は、いままで通り勉強を続けて、この学問に貢献したいと不断に決心している。もうこの年になったとて決して学問を放棄してはいない。
牧野富太郎「若き日の思い出」旺文社 1955(昭和30)年1月発行
青空文庫 http://www.aozora.gr.jp/cards/001266/files/47236_29321.html

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